えっ!肥溜め水槽?(・◇・;)

「ファイティング・ニモ」という映画が放映されて以来、海水魚や珊瑚を飼育する人が増えて来ております。
これには、淡水から転向する人も含まれている事でしょう。
その為、クマノミ飼育に至ってはネットに登場するサイトを見る限り、大体60センチの水槽、もしくはその前後のコンパクト水槽で飼われていることが大変多い様です。
これは、生体の身体的特徴による処もありますが、日本の景気動向と住宅事情によるところも関連する様です。
私は、90センチ水槽でオルタナティブシステムによる珊瑚水槽を試験的に昨年の9月に立ち上げましたから、1年以上経ちました。最初から好調でしたねえ。
但し、全く新しいタイプの底面吹き上げ法で底砂に通水させる事によって酸素供給が可能となり、日々の管理としてのメンテナンス作業とメンテナンス可能な底砂の構造による所が肝心だと思います。
これは、とても大事な点です。
と言うのも、あるショップの話では底面に厚い砂を敷き掃除をせず失敗する人が多い?本やネット、ショップの勧め、知人の真似等々でそういったお客様が多いそうです。
逆に、ネットで流通している情報を信じず、従来からの基本に忠実に海水を換えたり底砂の掃除をしている人は上手く行き、本やネット、ショップの勧め、知人の真似などの情報に素直な人は失敗するとその様な話を聞きました。( /_ _)/ドテッ
まあ!当然ですが、・・・・・・(o_ _)oバタッ(^_^;汗
先ほど、「基本に忠実に・・・・・・・・・」と言う事について確認してみたいと思います。
これは、一応「スタンダードな飼育法」という事であって、淡水では濾過器が付いていて底砂を敷いた場合なんとなく汚れてきたらフィルターも含めて必ず掃除して汚れた分を除去するという至極当然な事です。
底砂の掃除をすると言う事は、同時に飼育水を捨てる事になります。
当然、新しい塩素中和された水を入れる事になります。
もし、底砂の掃除をしなければ藍藻とかのコケが蔓延り苦労する事でしょう。
底砂の掃除をせず換え水しただけの維持で上手く飼育出来た試しが、私の場合淡水でも海水でも皆無でした。
又、砂を厚く敷いて掃除をしない水槽のことをある方は「肥溜め水槽」とか?・・・・・(^~^;)ゞ
いやあ〜、真実ですが、参りました。m(_ _)m
私は、どちらかと言うと「糞溜め水槽」と呼んでいましたが、・・・・・・・(^~^;)ゞ イヤァ〜
これはシステムとは関係ありません。
オルタナティブシステムでも底砂を掃除しなければ、単なる糞溜め水槽ですから・・・・。(^~^;)ゞ
とにかく、海水が海水でなくなる事が一番良くないのです。
生体の順応があるとは言え、出来るだけ天然海水に近づける努力をすることが肝心だと思います。
実に考えさせられる話ではあります。
ですから、当サイトでは幾度と無く「砂の掃除がし易い様に底砂を予め薄く敷いて嫌気層を作り出さない様にするか?もしくは、厚く敷くならば水流付与により通水させる事が大事だ!」と言う話をさせて頂きました。
とにかく、余りにも本質を知ら無さすぎるのです。それは循環であり呼吸なのです。
もう1度言いますが、自然界の真似をするのは大変素晴らしいのですが、自然界には地球上には自浄能力があります。
対して、閉鎖系の水槽には自浄能力は全くのゼロなのです。
そこへ、人間の手によって器械と電気と言う文明の力を借りて、「・・・・・システム」と名づけて人工的な水流と照明を付与している訳です。
現代でも、都会から離れた自然の多い民家では未だに汲み取り式のトイレが残っていると思います。
我々にも餌とも言うべき食事を与えられましたら、何時かは汲み取り式のトイレに糞を出す事でしょう?
そして、そのタンクには溜まって行く一方で、いつかはバキュームカーに来てもらわなければ満タンになってしまうはずです。この汲み取り式トイレでも自浄能力が無いのです。水槽と一緒なのです。
動物達と同じく畑や野原に排便する方が本来の姿でありますが、この汲み取り式のトイレの方法は水槽と同じく自然から閉鎖された排便システムでもあります。
魚がおり餌を与え続ければ、魚もいつかは糞として排便する事でしょう?
それも閉鎖された水槽外に出さない事には、先の人間用の汲み取り式と同じく底砂には満タンになってしまう事でしょう。
当然、バキュームカー宜しく底砂クリーナーで水槽外に出さねばならないと言う事なのです。
水槽内の水質を清浄に保つには、水槽内に何かを入れれば必ずその分を排出せねば、その収支が合わないのです。
この様に水槽に成分を与えると言う事は、同時にその排出が前提に立っての事であると言う事が分かるでしょう。
それが「道」と言うものです。道には必ず入り口と出口が存在します。
出口が塞がれば、出れなくなります。入り口が塞がれば、通れなくなります。
すべての法則には道があります。その為、呼吸も循環も存在します。
従来からの基本に忠実と言うのは、この「道」の事を差している訳です。